第11部
(3)日常生活支援 法の裏付けなし、継続に不安 

渡辺栄一さんに味の好みを尋ねながら食事作りを手伝う藤田欣一さん(右)=水俣市袋
 夕方、水俣市袋の湯堂地区にある渡辺家。長男栄一さん(54)は夕食の支度を急いでいた。渡辺家では、栄一さんの姉・松代さんが亡くなった五、六年ほど前から、家族七人分の食事を三人が当番で作っている。栄一さんの分担は週二回。得意料理は「魚の煮付け」だ。

 これまで、母マツさん(79)の指示を受けながら一人で調理をこなしてきた栄一さん。長時間立ち続けることが困難で、包丁を握る手もおぼつかず、「きつい」と漏らしてきた。しかし、食事作りのヘルパーを頼むことはなかった。福祉支援の“すき間”で、サービスが利用できなかったためだ。

 身体や知的障害を抱える栄一さん、弟の政秋さん(48)は障害者自立支援法に基づき福祉サービスを受けることができる。マツさんは介護保険の対象者。それぞれ個人では、制度を活用した生活援助を受けることはできる。しかし、渡辺家の場合、亡くなった松代さんの家族四人と同居しており、サービス利用のために生活を切り離すことは考えられず、利用してこなかったというわけだ。これらの制度とは別にある認定患者への補償では、在宅患者・家族に対する福祉サービスの提供はない。

 この二月、栄一さんに“助っ人”が加わった。栄一さんの担当だった週二回の食事作りを手助けするヘルパー、藤田欣一さん(68)=同市初野=だ。

 藤田さんは元チッソ社員。母親の介護経験をきっかけに退職直前に介護福祉士の資格を取得、四年間のヘルパー経験の後、二〇〇六年九月から、胎児性患者らが通う小規模授産施設「ほっとはうす」にパートとして勤めるようになった。患者多発地区に住んだこともあり、組合運動でも水俣病にかかわった藤田さんは、「これも何かの縁」と思ったという。

 スーパーで栄一さんと待ち合わせて買い物から付き添う。この日は、カワハギの煮付けの予定だったが、材料がそろわず、煮込みハンバーグに変えた。冷凍ハンバーグに煮込み用ソース、ニンジン、タマネギ、ジャガイモ…。出来合いの材料ではあったが、このメニューはマツさんの得意料理だ。

 藤田さんが米をとぎ、野菜を切ってソースで煮込む。栄一さんはその間に風呂掃除を済ませ、味見する。野菜にはしを通し、「まだまだやね」。「うん、うまい」。ブロッコリーのサラダを添えて夕食が完成したのは一時間半後。自宅では、妻と二人分の料理は作るという藤田さんも「普通の人でも七人分は大変バイ。いままで自分でしてたんだよな」。栄一さんは笑顔でうなずいた。

 この援助は国、県が胎児性患者らを対象に〇六年九月から始めた地域生活支援事業で初めて可能となった。水俣病被害に関する国、県の責任が確定した関西訴訟最高裁判決を契機とした水俣病新対策の一つだ。

 胎児性患者の加賀田清子さん(51)も、同事業を入浴援助に利用する。自宅の風呂が体の障害に合わず、車いすで使いやすい高齢者施設のシャワーを利用しているからだ。全額だった自己負担が一割にまで軽減された。

 ただ、この事業に法の裏付けはなく、継続を不安視する声もある。「国、県、市の責任として、制度の枠にとらわれず家族を支援する柔軟なサービスが必要。埋めるべき“すき間”がないか把握したい」。市健康推進課の和田恭子課長は話す。(並松昭光)


熊本日日新聞2007年4月4日朝刊

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